感動ある日々

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zoom RSS 悪くて当然と思える心

<<   作成日時 : 2005/11/11 01:39   >>

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平成17年1月16日

 サラリーマンをリタイアーして10年以上になるが、この10数年は、人間としての心の再生期間であったとも言える。

 仕事人間真只中の頃、私は常に、目の前に与えられた問題に対して、最適解を求めて、全力を投じて努力して来た。そのこと自体は組織に属する人間として当然の事であり、そういう努力が社会を支える人間として当然あるべき姿である事に、今でも異論はない。

 唯、問題は、そういう自分の姿勢を基本にして作り上げられる、にんげんの在り方物事の評価についての考え方、周りの人間に対する態度、姿勢である。

 若い頃読んだ聖書は、表面的に斜め読みして、単純に愛を基本にした性善説だと思っていたが、60歳を過ぎて読んでみると、若者の浅はかさとは言いながら、聖書が実は徹底した性悪説を基本にしたものである事に気づき、愕然たるものを覚えた。人間には冷酷でクールな面と暖かい心が同居しており、特に冷酷な面を自覚していないと、一般に誤って、理解されている、「眼には眼を・・・・」で、人と人との心の触れ合いはしゅく寂莫たるものとなる。

 飛躍した議論の様だが、自分の心の、みにくさを自覚してこそ、暖かい心で人を許す事ができる。しかもそれは苦痛ではなく、自然体である。

 悪くて当然と思っていると、人生は案外暖かい、いいことが多い。一方、逆に社会、人間関係は、正しいことばかりで、人はすべて暖かい気持ちで人に接している筈だ、と信じこんでいると、よくて当り前と、物事、周りの人に対する感謝の気持ちが少なくなり、自分と異なる考え方を持つ人に不満を持ち、失望する様になる。

 極端な言い方だが、現世はある意味、見方によっては、努力なくして楽しい所ではなく、残酷で惨憺たるものであることを、そしてその中で、どう生きていくかを後輩に教えていくことが、人生の先輩としての大事な役目である様に思う。

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